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子どもを一人の「人」として   島津 礼子

 「こんなことも、できるようになったのか」、「すいぶん、しっかりしてきなあ」と、子どもの成長や発達に驚き、感心し、嬉しくなることがあります。斜面を勢いよく駆け上がったり、怖がっていたターザンロープに思い切って乗ってみたり。
 また、ある養護学校では、重度の障害を持つお子さんに対して、できないことを一つひとつリストアップして、一つずつ達成していくことができるようなプログラムを組んだそうです。握れるようになったね、気持ちを伝えるときの合図が上手に出せたね、といった具合に。
 それまでできなかったことが、できるようになっていく存在としての「子ども」・・そのとらえかたの背景には、子どもを大人から保育や教育を受けて育っていく、弱くて小さな存在として見る「子ども観」があります。
 
 
 しかし、教育学者である汐見稔幸は、自身の専門領域であるにもかかわらず、「本音では、私は教育という営みがあまり好きではない」と述べています。
 そして、なんとなくそう思っていた理由を改めて言語化してみると、「自分は誰かに教育されて育ったとは、死んでも思いたくない。自分のことは、葛藤しながら自分で育ててきた。人から影響を受けたことは山ほどあるが、それも自分で選んでそうしてきた。」という思いに至ったのだそうです。
 もしかしたら、このように「自分を育てたのは、基本的に自分だ」と潔く語る人も多いのかもしれません。そうだとすれば、周りの大人たちが子どもを教え、育てているとする認識とは、矛盾することになります。
 
 子どもを親や保育者、教師、社会から守られ、教育を受ける必要のある存在として見るのではなく、能力を持つ力強い存在として捉える「子ども観」があります。
 この子どもの見かたは、子どもを一人の「人」としてとらえるものです。大人は、子ども自身が辿る学びのプロセスに同行する者にすぎず、子どもの学びのプロセスの中で、大人も共感をしたり、共に学んだり、発見したりします。
 もちろん、大人はその経験値から、子どもよりもちょっとばかり先の見通しが立つ、ということは言えるでしょう。
 だからといって、導いたり、教えるといった関係ではなく、大人と子どもは、同じ地平に立っています。
 このような考え方は、医療においても共通するものではないかと思います。
 
 
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